0011ビジョン短歌B01
伝わって 主(ヌシ)が変化(ヘンゲ)し 事をなし 咲いて実ってコミュニケーション
ビジョン短歌ビジネス01は、ビジネスコミュニケーションをテーマにしている。
ビジョン短歌Bを接種するにあたって、日々の活動の中で最も使用頻度が高く、効果が出やすいからだ。
まず、コミュニケーションとビジネスコミュニケーション、について確認しておこう。
コミュニケーション、とはなんだろうか?
そして、その中で、ビジネスコミュニケーションとは何であろうか?
まずここから考えてゆこう。
コミュニケーションに関しては、様々な定義や考え方、があるが、ここでは、コミュニケーションの定義を「異なる二者(以上)の間で、相互に理解・同意・共感に至ろうとする行為」としておく。
では、ビジネスコミュニケーション、とは何だろうか?
その他のコミュミケーション、すなわち、ビジネスではないコミュニケーションとは一体どこが違うのだろうか?
読者は何だと思いますか?
コミュニケーションとビジネスコミュニケーションの違い。
一目瞭然なのは、「ビジネス」というワードがついているかいないか。
では、「ビジネス」がついているかどうかでは、何が違ってくるでしょうか?
考えてみて下さい。
企業を例にとってみよう。
貴男がとある企業の会社員だとして、貴男の「会社におけるコミュニケーション」と「会社以外でのコミュニケーション」では一体何が違うだろうか?
ビジネスコミュニケーションの特徴は何だと思いますか?
そう考えるにあたって、誰が(何が)コストを負担しているか、を考えてみましょう。
会社の中でのコミュミケーションのコストはどこが負担していますか?
そう、ビジネスコミュニケーションのコストは、企業が負担しています。
では、なぜ、企業はコストを負担するのか?
企業がコストを負担する = 企業は投資している = 何か対価を求めている
つまり、企業には何かしらの「目的」がある、ということ。
貴男が会社員であったとすれば、貴男は自分が行うコミュニケーション全てにおいて、常にこれを意識する必要がある。
「会社は、社員のコミュニケーションのコストを負担することによって、目的を果たそうとしているのだ」ということを。
では、会社の目的、とは何か?
そう、ここで「理念武装」を思い出して下さい。
企業には、企業理念がある。つまり、企業の目的とは、理念の追求だ。
そう順番に考えると、企業にとってのビジネスコミュニケーションとは、企業が、その企業の理念を追求するために、企業のコストをかけて行うコミュニケーションである、ということがわかってくる。
MKはかつて仏系の化粧品会社に勤めていたのだが、その時の企業理念は下記であった。
全ての人間は、「美男・美女になりたい。」と考えている。これは歴史も科学も越えた普遍的な事実である。我々の仕事はこの気持ちに応えることだ。我々は毎日そのために行動する。我々はこの仕事に誇りを持っている。
企業の構成メンバーは、営業だろうと人事だろうと、あるいは経理や法務であろうと、全ての行動は上記の理念を追求するための手段、プロセスにすぎない。だから、会社において何か行動をおこすさいには、自分の行動、今自分がやろうとしていることの目的は、この理念の追求なのである、ということをほんの一瞬でもいいから必ず意識に上らせる。
そして、これが、ただのコミュニケーションとビジネスコミュニケーションの違いなのだ、ということをまず確認する必要がある。
さて、では、ここで、ビジョン短歌B01.
貴男は、ビジョン短歌B01をいえますか?
センテンスブロックしていますか?
いえなければここから先は読んでもしょうがないです。まず、最低でもセンテンスブロックしてからここから先を読んで下さい。
繰り返しますが、ここから先は、一旦ビジョン短歌B01を記憶してから読んで下さい。
さて、読者はビジョン短歌B01を覚えましたか?
はい、唱えてみて下さい。
言えましたか?
言えなかったらここから先は読んではいけません。時間の無駄になるだけです。
<ビジョン短歌の解説について>
ビジョン短歌を解説することは必ずしも望ましくはありません。
解説の内容に引きずられて自分なりの理解・実感・解釈&介錯がぼやける可能性もあるからです。基本はとにかくセンテンスブロックをすること、そして、このビジョン短歌B01をプラットフォームにして、自分のあらゆるコミュニケーションを考えてみることです。
下記の解説は、あくまで参考。一番大切なのは、読者が自分のコミュニケーションにあてはめて考えてみることです。
では、ここでの「自分のコミュニケーション」とはなんだろうか?
貴男の発信する全て、です。
貴男がオフィスで発する一言/メールで送信した一言/会議での発言/告知/あらゆるプレゼンテーション/ランチ・ディナー・パーティ・朝礼での一言/あるいは質問/質問に対する発言/さらには失敗の言い訳から雑談にいたるまで、とにかく読者が何か一言でも自分から外部にフレーズを発信したらそれはコミュニケーションである。そしてそれは言語には限らない。例えば笑顔をみせた/渋面をつくった/思わず目を見開いてまじまじと相手の顔を見つめた/同僚のデスクにパンフレットを置いた/メモ書きをモニターに貼り付けた/赤面した/苦笑した/舌を出した/溜息をついた、全てはコミュニケーションとして考えて差支えない。貴男が発信する。何らかのメディアを通じてだれかが受信する。そのルートがかよったらそれはコミュニケーションだ。そして、例えば貴男が会社員で、今日出勤したとしたら、貴男がオフィスで発信した全てのコミュニケーションは、今、貴男が携わっているビジネスを、例えほんのわずかでもゴールに近づけるための手段のはずである。
ところで、そのゴールは貴男に、そして貴男の全ての同僚・上司・チームメンバーに共有されているだろうか。
➢ 解説① 「伝わりて」
まず、伝わっていなければならない。
ここで確認であるが、コミュニケーションは「伝わる」であって、「発信」ではない。
実は少し注意深く観察すればすぐわかるのだが、会社においては、「発信」さえすれば責任を果たしたことになる事例が決して少なくないのである。その結果、会社によっては、「自分は発信さえすればよい、それが自分の責任範囲だ、受信していないのはその受信者の責任だ」と考えている人間が決して少なくないのである。
発信(あるいは送信)さえしてしまえば、もう責任は追及されない、そんな環境に慣れて、そう考える人間が構成員に多ければ多いほど、コミュニケーションの齟齬は拡大し、マイナスの側面が表れる。
相手が受信していない、すなわち伝わっていない、理由は色々考えられる。
受信者が聞いていないのかもしれない。聞こえていないのかもしれない。言葉が通じていない、内容がわからない、語彙の使い方が違う、誤解しているなど、伝わっていない原因は様々だろう。
MKとMSは、「受信」という行為を、以下のプロセスに分割して考えている。
受信 = 知覚 認知 認識 解釈 理解 実感 共感 賛成(または反対)
例えば受信者の反応が「反対」だった場合、上記の段階全てを通過した上での結論なのか、それともどこかの中間過程でねじ曲がったり誤解を招いているのか、で、対応は違ってくるし、受信者の反応が「賛成」だった場合でも、もしかしたらどこかの過程で誤解しているかもしれないし、もっと言えばあえて誤解させて賛成・反対を導き出しているケースもあったりするのだが。ここで着目すべきは、
ビジョン短歌B01においては、「伝わっていない」ことに対する不利益があった場合、責任が問われるのは、発信者である、と定義する。
つまり、あるコミュニケーションが伝わらなかった結果として発生する不利益については、例え原因は受信者にあったとしても、送信者にその責任が帰せられると考える。
なぜか。
行為の主体者が発信者だからである。
(責任と原因を分けて考える方法・重要性に関しては、ビジョン短歌B05を参照のこと)
ところが、ビジネスにおいては、発信者が、「エア発信」をしたりする場合もある。
なぜか。時には、「発信」さえしてしまえば、「業務における担当部分の責任を果たした」という形だけを形成することができるからだ。
例えば、子供にむかって、「ちゃんと『有難う』と言いなさい。」なんて言ったとして、子供が「もう言ったよ」なんて言い返したりしているが、「有難うと言いなさい」は行動だけを指導していて、「有難うと言う」のは手段にすぎない、その「有難うと言う」手段をつかって、「感謝の気持ちを伝える」のが目的である、ということが理解されていないケースだ。
「感謝の気持ちを伝える」とは、
① 発信者は自分の中に「感謝の気持ち」が醸成されている事を知っている。
② ①の「感謝の気持ち」を持っているということを受信者に認識してもらう
③ 「有難う」と発話する、のは手段である
ということである。目的は受信者に「伝えること」=「受信者が認識すること」であって、発信者が「発話する」=「言うこと」 は、その目的を達成するための手段のうちほんの一つにすぎない。言うだけ言って、伝わっていなければ、それは「エア伝達」である。
<余談:
実はMK自身も外資系企業でよく経験したのだが、受信者のデスクが乱雑なのをわかっていて、こっそり未決済の書類をクリアファイルに入れて、‘Caution’なんて赤い印をつけはするけどわざと裏返しにしたまままぎれこませておき、さらには、メールを一本「こんな書類をDeskにのせました」なんて送って、で、1両日だけ待って、それで「伝達した」ことにしてさっさとやりたい方向につき進み、あとでごちゃごちゃ言われた時にはすっとぼけた顔で、書類はデスクにおいた、念のためにメールも送った、などと言って送信者責任を回避する、つまりは、形としてはできているけど、全然伝わっていない、という状況をつくったりするのである。これがエア伝達。ひどい話だし、こんなことを繰り返したら、というかこんなことを一度でもやったら一番大切な信頼関係がくずれてしまうではないか、と(今では)思うのだが、実は今MKがこの文章を書いている間にもこんな「エア伝達」をしている人間は日本中世界中でいくらでもいるのではなかろうか。全然相手に伝わっていない、のであるが、見てない相手が悪いのだという状況を意図的に構築してしまうこと(=エア伝達)はいくらでもある。(かつて、MKは外資系企業じゃなくて外道系企業だ、なんて毒づいたりもしたものだが。)そして会社全体がそういう環境だと、その環境で生き残るために、どんどんそっちに流れてしまうのだが、はっきり言って、自分の周りがズルをしていたら、同じだけずるいことをやらないと自分が損してしまうのだが、ではどうするかなのだが、それについては改めてふれてゆく>
まず、自分が「言う」「発信する」のではなく、「受信者に伝わったか」が大前提であることをここで確認しよう。「受信者」が認識したかどうかは、「発信者」が責任を持つ。
➢解説② 「主(ヌシ)が変化し」
この場合の「主」=「主人公」は受信者である。「行為者」は発信者であるが、コミュニケーションの「主人公」は「受信者」であることをコンセンサスとする。
前述したように、ビジネスコミュニケーションには必ず何か目的がある。その目的の達成度合いは、受信者の変化で計測できる。コミュニケーションを受信した受信者が変化しなければコミュニケーションの目的は達成されていない。変化とは、受信者Bが、受信の結果B’に変化していることだ。発信者が発信したフレーズを、受信した受信者に、受信前と、受信後に変化が生じているかどうか。
変化とは受信者の中に何かが生まれること、もしくは、何かが死ぬこと、またはその両方である。貴男は自分がフレーズを発信するにあたって、
受信前 : Before → 今、受信前はどんな状態でいるのか
受信後 : After → 受信後は、発信者の貴男としてはどう変化してほしいか、
そのためには何を生じさせ、もしかしたらそのために何かを殺すことも必要である可能性がある。その「何か」を発信者である貴男は意識しているだろうか。
➢解説③ 「事をなし」
受信者に、ある行為行動をさせるのが、フレーズを発信したそもそもの目的、である。
受信者BはBからB’に変化した結果、何らかの行為行動をおこさなければならない。
BからB‘への変化は、「状態」ではなく、本来行動を起こさせることが目的なのだ。
➢解説④ 「咲いて実って」 = 花が咲き、実が実って
ありていにいえば 「成果があがって」ということだ。では、成果が上がる、とはどういうことか。
端的に言えば、例えば私企業では、成果が上がるということはすなわちお金が入ってくることである。
貴男が発信したそのコミュニケーションは、最終的には会社や団体に得益をもたらさなければならない。例えば私企業なら、貴男の発信するその一言が、「誰かが金を払ってでも欲しい」モノまたはサービスをつくることにつながらなくては意味がない。その大きなゴールにむかっての小さなゴールであることを意識しているだろうか。
ここで立ち返るべきは「理念武装」の考え方だ。
「咲いて実って」 = 成果があがる = 「会社全体の理念に貢献している」
ことである。
さて、ここで難しいのだが、もし読者がまともなきちんとした企業に勤務しているとして、もしその企業がまともできちんとした企業なのであれば、必ず企業倫理、とか企業理念を設定しているはずである。
そして、読者がもしまともな会社のまともな部門に属しているのであれば、その企業理念や倫理をきちんと部門内でシェアしている努力をしているはず、である。
そして、まともできちんとした企業なら、3年計画、とか今年の計画とかがあって、その上、部署によって、その部署なりの理念があって、それを設定し、しかもシェアしているはず、である。
整理すると
① 会社全体の理念
② 会社全体の3か年計画
③ ②に対する進捗状況
④ 本年度の目標
⑤ 部署全体の理念 存在意義
⑥ 部署全体の本年度の目標
で、「咲いて実って」とは、①~⑥までの整合性がすべて整っていて、しかも読者のコミュニケーションが①~⑥と全て整合性がとれていなければならないのだ。
とは言え…
MKはこれまで事業会社3社、財団法人1社、で、企業研修としてかかわった会社は大小含めて数10社にのぼるけど、そんな会社はまずない。
苦しいのは、その中で行う研修であって、掲げた理念を追求していない企業、口先だけで言ってることとやってることが違う場合、どう整合性をもたせたらよいか、という事に頭や心を悩ませることになってしまう。
あれ、愚痴になってしまった。
①~⑥の整合性がとれていない会社では実は何をやってところで、ムダ、なのだが。
読者が何かのフレーズを発信する
受信者が受信して、行為行動をおこす。
その結果が①~⑥にプラスに働いて、初めて意味がある。
それが、咲いて実って、だ。
<参照:
作者がビジネススクールで使用していたシートを添付した。これは、現実のオフィスにおいて、ビジネスコミュニケーションを強化するために、実際に使用されたシートである。あらゆるコミュニケーションを発信する度に、このシートにそってその内容を確認すればビジネスコミュニケーションの強化に役立つ>
① ビジョン短歌B01をマントラブロックすることに成功し、
② あらゆるコミュニケーションを発信する前に唱え、自分に意識させ、
③ 実際のコミュニケーションの効果を検証すれば、
下記の習慣が急速に身に付いてゆく。これはMKとMFの部下、または生徒で実証済みの内容である。
(習慣1)
あらゆるコミュニケーションを発信する時に、自分は何を求めているのか → コミュニケーションの目的 を意識する習慣が身につく。
(習慣2)
自分が発信したコミュニケーションが、受信者にどう作用するのか、コミュニケーションの結果が受信者に作用する「変化」を意識する習慣が身に付く。
つまり、これまで、ただ、無意識にあるいは無防備に発信していた自分のコミュニケーションが、自分が何を考えて、何が目的で、しかも、最終的には発信者がどんな成果を求めて自分はフレーズを発信するのか、を発信の度ごとに一度は考える習慣が身に付く。そして毎回検証をかさねるにしたがって自分のコミュニケーションスタイルが洗練されてゆく。
さらには、
(習慣3)
自分が受信者になった場合、すなわち、誰かが何かを言った、誰かからメールがきた、任意の送信者から自分がフレーズを受信して受信者となった瞬間に、今受信したこのフレーズの発信者は何を考え、何を目的にこのフレーズを自分にむけて発信・発送・送信してきたのか。つまり、発信者は自分をどう変化させ何をさせたくて送信してきたのかを考える習慣が身に着く。
実際、「コミュニケーション」というワードが耳に入った瞬間に、このビジョン短歌B01をマントラシャウトする習慣を身に付ければ、貴男のコミュニケーションは確実に変化してゆく。
そして、その変化に従って、ビジョンセルフにその分だけ近づくことができる。
貴男が本日、あるいは昨日一日の間に、例えば社長が、部長が、課長が、どんなメディアをつかってどんなフレーズを送ってきたのか、それが一体自分にとってどんな意味があるのか、どんな効果が期待されているのか、それらを考える習慣が身につく。そして、その考察が進化・深化した時、発信者の意思と目的をイメージしてその方法や技術を評価して自分の中で参考になった時、(良い例も悪い例も)ひとつひとつのコミュニケーションが参考サンプルとして積み重なる。そして、それらが積み重なって、経験となって、上手くいったコミュニケーション、すなわち受信者に変化を与え、何らかの行為をさせて、その行為の結果何か成果があがったとき、その事例が積み重なっていったとき、改めてビジョン短歌B01に実感が持てるようになる。(詳細は後述するがこれをメッセーブロックと称する)
<余談:
プロフェッショナルジョブシート、であるが、MSは実は興味深い授業をしていて、過去の歴史的事件、例えば桶狭間、とか関ヶ原、とかの事例を学生にこのジョブシートにそってまとめさせている。
残念ながら、作者のビジネススクールではまだ実施したことはない。大学・あるいは大学院とは違ってそこまで一つの事例にじっくり取り組むだけでの時間的余裕がないし、アカデミックな知的興奮はあるがその分ビジネスに直結しているという評価を得にくくてコスパ的説得力に欠け私企業では実施が難しいからだ。
その一方で、現代のビジネスプロジェクトシートやAgenda・ミニッツシートに沿って歴史の流れを改めて考えると、過去の偉人がどうやってプロジェクトを推進してきたかが、節目節目の意思決定とそのさいのネゴシエーション&ファシリテーションがどう機能しているか、を興味深く学ぶことができる。ただ、(MFがしみじみ語っていたのだが)戦国時代を題材に選ぶと、どうしても暗殺・殺害が手段の一つとしてクローズアップされてしまうのが、難なのであるが:>
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