0015 ビジョン短歌B05
アdプロィノ 納期 アサイン 責任者
ゴール バジェット care to say 「せい」
(注 dは誤植ではない。語調を合わせるためにカタカナ「ア」のあとに軽いd音を設置している)
さてここで唐突だがMKより読者に質問。
「仕事」とは一体、何ですか?
生きてゆくには必需品と嗜好品を獲得しなければならない。
今自分が消費している必需品あるいは嗜好品は、(例えば非競合材(酸素・空気)や自家菜園、釣ってきた魚を食べるなどの自給自足分部分を除けば)全て誰か、自分以外の誰かが製造したものである。
全ての必需品と嗜好品を自分で製造はできない。
その結果人類は分業を行っている。
分業の結果、交換が必要になる。
交換のための道具が金銭である。
繰り返しになるが、金銭を得るためには、「誰かが『それを価値だ』と考える何か」を製造しなければならない。
これは、「誰かが、『それを価値だ』と考えてくれるプロダクトまたはサービス」
すなわち、
「お金(対価)を支払ってでも欲しい」と考えてもらえるモノまたはサービスを製造することである。
金銭を獲得する方法は基本的にこれだけである。
<余談:
実は金銭の獲得には上記の原則に含まれない例外が二つだけあるのだが、ここではその例外には触れない。>
その「モノまたはサービス」を製造するプロセスの全部またはどこか一部に参画する。
その「参画」をここでは「仕事をする」と呼ぶ。
この段階で一つ確認するのは、「仕事」と「労働」の差である。
仕事と労働の差って何?
ほら、そこの君、今、スマホで確認しようとしなかった?
まずは考える習慣を身につけないと。自分で考える。
製造力を鍛えるための、(頭脳の)筋トレのつもりで考えてみよう。
知識の集積・獲得ではなく、知識の活用を常に心がけるためだ。
知識を有効活用するためには、常に「全て」=目の前に展開される全て を自分の頭で考える習慣を身に付ける。
駅やビルで、エスカレーターやエレベーターを避けて階段を登る感覚だ。特にこのHPの読者には、まず自分で考えてみてほしい。
「仕事」と「労働」はどこが違うのか?
どういう場合は「仕事」で、どういう場合は「労働」なのか。
ここで、ヒントとしての「考え方」を二つ提示する。
第一は、「言葉」そのものにフォーカスして違いを考える方法だ。例えば、
① 労働者はいるけど仕事者はいない、とか、
② 労働着と仕事着はどこが違うか、とか。
③ 労働組合はあるけど仕事組合は聞いたことがない、とか。
④ 仕事人はいるけど労働人はいない、とか。
⑤ 頭脳労働・肉体労働とはいうけど、頭脳仕事・肉体仕事とはいわないな、とか。
⑥ 労働時間とは言うけど仕事時間って聞いたことないな、とか。
⑦ 仕事熱心とは言うけど労働熱心とはいわないな、とか
⑧ 「あいつは仕事ができる」とは言うけど「あいつは労働ができる」とはいわない、とか、
色々自分の頭をつかって考えると次第に違いが鮮明になってくる。
第二は、「言葉」と「実際の行動」の関係にフォーカスして違いを考えてみる方法である。例えば、
① 貴男がどんな行動をした時に、まわりの誰かは「貴男が労働した」と認識するのか。
② 貴男は、まわりの誰かがどんな行動をした時に「あの人は労働した」と認識するのか。
③ 貴男がどんな行動をした時に、まわりの誰かは「貴男が仕事をした」と認識するのか。
④ 貴男は、まわりの誰かがどんな行動をした時に「あの人は仕事をした」と認識するのか。
そして、それぞれのパターンの違いをどう認識しているか、を考察する。このように考えてゆくと、またさらに違いが鮮明になってくる。
製造力とは、ひらたく言えば収入獲得力である。これはつまりは金銭を獲得する力だ。
MKが周囲を見回すと、労働が、労働だけが金銭を獲得する手段だと認識しているような人間が多い。勉強は出来て試験に強くて学校名履歴は高くても、すなわち知識の獲得・蓄積・表現にノウハウを持ち熟練していても、どんな高給与所得者でも、こういう人間は定年まで労働を繰り返すだけで、知識の活用にはノウハウの積み重ねがなく、つまりは製造力が強化されず、お金を稼げても儲けることはできない。創意工夫が足りないのだ。(繰り返しになるが)金銭の獲得手段の大原則は、「誰かがお金を払ってでも欲しい、と判断するプロダクトまたはサービスを製造する」ことだ。
では、「仕事」と「労働」この両者の違いは何だろうか?
MKとMFはある定義を設定しているが、この質問への答えは一旦保留にしておく。
さて、
ビジョン短歌B05
アdプロィノ 納期 アサイン 責任者 ゴール バジェット care to say 「せい」
このビジョン短歌B05は、「仕事」というものに対応する、すなわち、「仕事」を与えられた時に具体的にどう行動すべきかを端的に表している。
例えば貴男が学校を卒業する。社会人になって就社する。研修が終わって配属され、出勤して、ガイダンスが終わって、さて、何か仕事を与えられたら、まずこのビジョン短歌B05を一度マントラシャウトしてみよう。
(*ちなみに貴男が受注するのは「仕事」であって「労働」ではない。なぜなら貴男は既にビジョン短歌Bを摂取しているからだ。)
仕事を受注する、その瞬間、貴男はマントラシャウトする。
<ビジョン短歌B05>
アdプロィノ 納期 アサイン 責任者 ゴール バジェット care to say 「せい」
アdプロィノはMKの創造語だ。かつてMKとMFが「アdプロィノ」と言っていたのを聞いた生徒が、イタリア語と誤解して辞書を引いていたが、イタリア語に限らず、どこの辞書にものっていない言葉である。
アdプロィノ、とは何か?
3つの言葉の最初の2文字づつをとってつくっている。
アd = アドミニストレーション
プロ = プロジェクト
イノ = イノベーション
である。基本的に「仕事」と聞いた瞬間、この3つのどれに該当するのかを常に意識するくせが身についていると、それだけでも貴男の製造力は強化される。
何故か?
仕事の種類によってアプローチが異なるからだ。もし貴男が新入社員で、あ、仕事が来た、何かの仕事が自分に与えられた、と知覚したら、その瞬間に、この仕事は何なのか、をこのビジョン短歌B05にあてはめて分類してみる。
基本的に仕事とは3種類しかない。そのサイズは大小様々ではあっても。
アドミニレーションとプロジェクトとイノベーションである。どれにあたるかをまず認識するのだ。
貴男に仕事を与えた上司または先輩が、もしMBA的な教育を受けている人材であれば、自分の判断を確認できるかもしれない。質問してみるのだ。
「この仕事ってアドミ(ニストレーション)ですよね?」
「この仕事ってプロジェクトですよね?」
アドミニストレーションとプロジェクトの違いについてはプロフェッショナルジョブシートの表にまとめてあるので、要参照。ポイントは、
アドミニストレーションであれば、マニュアルがあるはずだ。
プロジェクトであれば、プロジェクトシートがあるはずだ。
MKは、ビジネススクールで企業研修の企画開発講師の仕事をしているのだが、その関係で大小様々な企業に赴くのだが、ある程度まともな会社なら、上記の区別が明確に区別されていて、それぞれにシートを設定している。
もし、マニュアルやプロジェクトシートがなければそれはチャンスだ。貴男がつくってしまう。可能であれば、上司または先輩に(上手に)相談してマニュアル and/or プロジェクトシートをつくらせてもらうのも一つの手段である。「仕事」だけでなく、「その仕事を遂行するための『マニュアル』または『プロジェクトシート』をつくる仕事」も同時に貴男が受注してしまえば、同期ライバルから一歩先んじることができるかもしれない。
*基本的なシートは参照のとおりである。
ここで、あれ、イノベーションは?と考えた読者がいたとしたら、その考えは正しいが、取り急ぎイノベーションに関してはこの章では後で考える。(→章末へ)新人に限らず全ての社員が常にイノベーションを意識するのは大切だが、貴男が会社からイノベーションを「仕事」として受注する可能性は現在の日本においては限りなくゼロに近い。取り急ぎは「アdプロィノ」の「アd」と「プロ」までを中心に意識するところから開始する。
今現在、MKは、このHPの読者にはアドミニストレーション・プロジェクト・イノベーションの各概念を理解していることを前提に記述を進めているが、もしかしたら、読者が入社した会社が、アd・プロ・イノの感覚がゼロ、という可能性もあるだろう。
正確な統計をとった訳ではないが、MKの感覚では、アdプロイノの概念が浸透している会社が約30%、話せばわかる会社が40%、残りの30%は「なんだそれ?知らない」かもしれない。しかし面白いのは、アdプロイノの考え方を意識していないだけで、実践している会社がその30%のうち半分はある。このHPを読み進めるのであれば、少なくともチームメンバー同士では、アd・プロ・イノの各概念の認識と、プロフェッショナルタクスシートのプロセス理解のシェアが前提となる。
仕事を受注する。そして、その仕事が、アドミなのかそれともプロジェクトなのかを上司または先輩と共通認識が確認できたら、次は、ビジョン短歌B05の順序にのっとって①~⑤を確認する。
さて、ここからは、「仕事」と呼ぶのは一旦やめることにしよう。ここからは、「仕事」をタスクと称する。なぜか?その理由は後述する。
①納期 ②アサイン(担当者) ③責任者 ④ゴール ⑤バジェット(予算)
この時大切なのは、①~⑤の確認はタスク受注者の義務であり権利である、ということだ。順番も大切で、基本は上記の順番である。
貴男は例え自分が部下や後輩だからと言って一切遠慮してはいけない。必ず上記を確認する。(ただし、出来ていない先輩や上司にトクトクと得意になって説明しちゃだめだよ。あくまで謙虚にお伺いをたてるのだ。)
① 納期
とにかくまず明確にすべきは納期である。いつまでにやるか、をはっきりさせる。
② アサイン(担当者)
そして、次がアサイン。誰と誰が担当者なのか。ここまではすぐ確認が可能だろう。
③ 責任者
問題は次の「責任者」である。
ビジョン短歌B05では、わざわざ「アサイン」= 担当者、と「責任者」をわけてある。
なぜか?
そう、担当者と責任者が一緒、同一人物とは限らないからだ。
担当者と責任者は違う。そのタスクの責任者が誰なのかを明確にしておくことはタスクを受ける人間の義務でありかつ権利であると考えて良い。タスクが後々上手くいかなくなったときにもめるのは、責任者が明確になっていないからだ。必ず仕事に入る前に、責任者を確認しおく。
付け加えれば、タスクの発注者が責任者を把握していない場合もあり得る。タスクの「責任者」と「担当者」それぞれの名前と権限を、「発注者」に確認しておく。
④ ゴール
そして、ゴール=完成した場合の納品物と
⑤ バジェット(予算)
バジェット=予算の確認である。
バジェットの確認は、アドミとプロジェクトでは違う。
一般に、アドミに分類される仕事であれば、予算について言及する必要性はあまり意識されないが、それでも貴男がタスクを受注する段階で予算=お金がどの程度かかっているのかを認識するのは大切だ。
何故か。
企業でも、団体でも、多くの場合ある日突然「経費削減」がにわか雨のようにスコールのように隕石のように(現場には)いきなり振ってくるからだ。その時に備えて予算は必ずチェックしておく。(ただし、経費削減の要請に、得意になって真っ先に協力したりすると、かえって自分の職域を狭めて部門の力を減じてしまう場合もあるから要注意、ではあるが)
プロジェクトの場合、予算は経営5大資源、すなわちヒトモノカネ情報時間に明記されているので、こちらで一緒に確認する。(プロジェクトシート参照)
以上、どんなタスクでも、なにかしらのタスクを依頼されたら、一旦このビジョン短歌B05を唱えた上で、①~⑤を全て確認して、タスクの発注者と共通認識を持っておく。
場合によっては最初に全てを明確にできない場合も大いにありうる。また、上司や先輩によっては、怒りだす場合もあるかもしれない。その上司・その先輩はそのレベルにすぎない。上手にあしらって、自分だけは全てを確認し、確認できない場合は上手く立ち回って上司・先輩の上を行けば良い。(その具体的方法については後日記載する)
また、バジェット(予算)の確認は最後がいい。何故か。
最初にバジェットを聞いてしまうと、どんどんタスク自体が縮小してしまう可能性が高いからだ。受注したタスクの全体像を①~④までで見通した上で、初めて予算に言及する。その順番のほうが多くは上手に進んでゆく。
そして、care to say 「せい」であるが、これは何だろうか?
ビジョン短歌B05を唱える目的は、日本語の「~のせい」の「せい」という語について、下記を意識することにある。
(目的1) この「せい」という言葉に気をつけろ、
(目的2) 「せい」という言葉を聞いた時はその人間に注目せよ
(目的3) 自分が「せい」と口に出した場合、思わず言ってしまった時は、その用法を確認せよ、ということだ。
ここで、読者の注意を喚起したいのは、日本語で、「せい」つまり「○○のせい」とはきわめて曖昧、かつ無責任で、時として有害な言葉であることを改めて確認しておく必要性である。日本語の「せい」の「せい」で、仕事はまさに迷走する時がある。例えば、アドミでも、プロジェクトでも、何らかの困難や失敗に遭遇すると、誰かが「○○のせい」と言う。そんな時、多くはその意味は、
① ○○が(困難・失敗の)原因である。
② その結果、○○が責任をとるのが当然である。
というニュアンスあるいは「隠れた前提」が存在する。あくまでニュアンスにすぎないのだが、その結果、「せい」をsayした瞬間に、責任と原因が混ざり合ってしまっているのだ。
まず、日本語の特徴として、○○にあてはまるのが、人間とは限らないという点がある。無生物・自然現象・社会的状況・その他、特定の人間・個人・誰か、ではなく「何か」をこの○○にあてはめてしまっている。
そして、次に厄介な点は、「○○のせいだ」という一言で、イベントがなんとなく総括されてしまって、結局そこで責任の所在が雲散霧消してしまうことである。
とは言え、実を言うと、これは決して悪いことばかりではない。
例えば家族内で、家族構成員の誰かが何か失敗してしまって、
「あ、これってパパのせいだよ!」
「もう、今日はママのせいで出かけるのが遅くなったんだからね!」
など、ごく自然に使っている。で、そう言われたパパやママは、「あら、ほんとだ!」「ごめんなさいね!」なんて明るく謝ってそこで、話はおしまい、一件落着、被る迷惑は家族全員で引き受けて、特にそれ以上、責任は追及しない、されない。せいぜい「もう、次からは気をつけてよ・・・」「わかった、わかった」とか言って、それでもう決着がついてしまっている。
MKとMSはこれを責任と原因のマーブル現象と称している。コーヒーにミルクをまぜた時の感覚だ。ミルクは、コーヒーに注ぎ込んだ時ははっきり見えていて、白と黒のコントラストがはっきりしているが、ぐるぐる回っている間にとけてしまい模様も消えてしまう。
例えば、電車が5分遅れているとする。「この電車は5分遅れます。四ツ谷駅で車両事故がおきたせいです。」なんてアナウンスがある「申し訳ありません」などと謝罪が流れてそれでおしまい。
実際にそれで済む時はそれでいいのだが、問題は、そのままではすませられない事態に遭遇した場合だ。どんな場合? オフィスでは許されないケースもある。
なぜか。
もともと、ビジネスでは、責任にお金を払っている。納品と交換に代金の支払いをうけるからだ。満足のゆく納品ができなかった場合、すなわち取引が満足のいく結果にならなかった場合には、代金は入金されない。その失敗の「原因」がどこにあったとしても、その「責任」を回避出来ないケースがある。
ここで確認だが、「責任者」という言葉はあるが、「原因者」ということばはない。
何かトラブルがあった場合、そのトラブルをおこした「原因」をつくった人間、あるいは何かが、たとえそれが予測不可能な災害や天変地異であったとしても、受注者は納品の責任を負っている。納品の責任を果たした対価が報酬なのだから。その責任を負うのが「責任者」だ。
つまり、「責任」と「原因」は実際は全く別々の概念である。それなのに、日本語の「せい」はその概念を曖昧にしてマーブル模様で処理してしまっているのである。
このマーブル処理に対して、例えばMKが在籍したフランス系企業で実践されていたのは、あらゆる要素を分解し、どこのどの部分に誰が責任を負っているのかを明確にしようする手法である。これをMKとMSは責任のジグゾーパズル処理と呼んでいる。
要約・確認すると、
<確認1> 「原因」と「責任」は別の概念である。
<確認2> 「報酬」は「納品」と引き換えに行われる
<確認3> 「納品」する「責任」を負うのがビジネスである
オフィスにおいて、注意深く耳をすましていると、ごく気楽に、あるいは無防備に「○○のせいで」と言っている人間が決して少なくない、その人間が何を言っているかをさらに注意深く聞いていると、責任と原因がごちゃごちゃに供述されている場合が実は多い。オフィスで、ビジネスの場で、「せい」という言葉を頻繁に使用している人間には要注意、また、自分は多用しないように要注意、そして、何が責任で、何が原因なのか、もし成果があがらなかった場合は誰がどう責任をとるのか、を事前にしっかりシナリオをたてておくことが必要である。
ただし、ここではオフィス、と言ったが、場合・状況・環境や立場によっては必ずしも「せい」という言葉をつかって悪い、とは限らない。同じ会社でも、使ったほうがいい場合もあればよくない場合もある、ただし、自分はどういうつもりでつかっているのか、相手はどう考えているのか、「○○のせい」、と気軽につかってしまっている背景を良く考えて、原因と責任をきちんと分けて考えているかどうか、誰が担当者なのか、誰が責任者なのか、上手くいかなかった「原因」がたとえ不可抗力であったとしても、「責任」とは別の概念なのだ、ということを強く意識していると、日々感覚がとぎすまされる。その結果、自分の製造力に磨きをかける方向につながる。
ここで、「幸運」と「不運」について触れておこう。「失敗」を予測不能の「不運」を原因とする考え方がある。話を聞くとたしかに不運だった、ついていなかった、という場合もあるかもしれない。しかし、その「不運」が「原因」だとしても、その不運が「責任」をとってくれるわけではない。どんなに大きな不運が作用したとしても、「責任」は「責任者」が負うのだ。何故か?
例えば、大きな「幸運」がまいおりて、プロジェクトが上手くいった場合、その成果を責任者が享受するからである。
① 幸運も不運もどちらも引き受けて責任をとる
② 原因と責任はわけて考える。
③ この考え方をアドミまたはプロジェクト開始以前に参加者全員で認識する
これがビジョン短歌B05である。そのために、仕事を受注したら、仕事をtaskと捉えて、まずビジョン短歌B05をマントラシャウトするのだ。
製造力の強い人間に共通する資質は、責任と原因の違いを明確に意識してるということだ。報酬は、責任に支払われていることを常態として意識しているのだ。
ビジョン短歌B05を摂取しておけば、責任者が誰か、を明確に決めておく必要性をチームメンバー全員で認識できる。それも、タスクを始める以前の段階で。
予測できない事、予測不能な事が起こることも含めて結果に責任をとるのが責任者、である。失敗の原因がいくつあったとしても結果が失敗だったら結果の責任はとる。
逆に、どんなに幸運に恵まれたとしても、その成功した結果の果実は享受するのだから。
再度まとめる。
貴男が仕事を受注したら、それをタスクと言いかえる。
タスクをたくすのが会社だ、と自覚する。
① そのタスクがアドミニストレーションなのかプロジェクトなのかをきちんと確認する
② 納期・アサイン(担当者)・責任者をはっきりさせる。
③ ゴールと予算をしっかり認識し、仕事の発注者と共通認識を構成する
④ 責任と原因をしっかりわけて考える。そして、何かあった場合は、○○の「せい」といっている人間に注目してその人間がどう行動しているかをよく観察する。
上記4つをとっさに意識して、しかも意識し続ける。これだけで、貴男の製造力は確実に強化される。
さて
ここまで読めば、「労働」と「仕事」の違いが認識できたと思うけど、どう?
ちゃんと考えてから下記を読んでね。
「労働」と「仕事」の違い。
MKとMFの共通認識であるが、「労働」は「行為」だが、仕事は「行為そのもの」ではなく「行為の結果」である。
労働は行為である。その結果、ほとんどの労働は作業である。己の肉体、身体のどこかを使えば必ず労働は可能だ。作業さえこなせば、労働したことになる。しかしその労働の結果が成果につながるとは限らない。成果につながった時、初めて「仕事をした」ということができる。
言い換えれば、作業納品・作業債務と成果納品・成果債務の違いである。
この章の冒頭で、
金銭を得るためには、「誰かが『それを価値だ』と考える何か」を製造しなければならない。
その「何か」を製造するプロセスのどこかに参加する。
その「参加」をここでは「仕事をする」と呼ぶ。
と記載したが、実は、「参加」する「行為」を労働と呼んでいる。
参加した結果、「成果」が上がった場合、すなわち成果物の製造に貢献した結果を「仕事」と呼んでいるのだ。
ある人間が仕事を受注する。
その仕事を完成させるためにプロセスを細かく分解する。
その「分解されたプロセス」の一部の作業を担うことが、労働である。よって労働は、時間で測られる。
一方、仕事は成果で測られる。仕事には必ず他者の評価がつきまとう。成果を上げる、ということは、誰かが、それを、お金を出してでも欲しい、と考える製品またはサービスをつくるということだ。自分は本当にその成果に貢献しているかどうか。常にそれを意識して、今している作業は、行為は、全体にとってどんな意味を持つのか、これにいつも着目しているかどうか、が製造力の強化につながるのだ。
<補足>
ここで、「献身」と「貢献」の概念を確認する。
使用者は仕事を受注する。
仕事とは成果物の製造である。
使用者は、成果物と引き換えに金銭を得る。
使用者は、成果物の製造プロセスを分析し、各プロセスを業務に分割する。
分割された業務をこなす労働を設計する。そして労働に対価を設定して市場に出す。
労働者は労働して賃金を得る。
使用者が得るのは報酬であり、労働者が得るのがその報酬を分割した賃金だ。
ここで注目すべきは、「献身」と「貢献」の概念の差異である。MKは、人事と評価に長く関わってきたが、この差異を理解しているかどうかが、いわゆる企業に勤務する人間の製造力に大きく影響を与えると判断しているからだ。
貴男はほぼ毎日勤務している。決められた時間の間、決められた作業に従事する。その作業が労働なのか、それとも仕事なのかを貴男は一体どの程度意識しているだろうか。
そして、意識し始めると初めて気づく。例えば貴男が企業に勤務していて、上司が業務の発注者であった場合、上司が貴男に要求しているのは、貴男の「貢献」なのかそれとも「献身」なのか、という差異に。
TOP以下、全ての業務発注者が、真に優秀であれば、「企業に対する貢献」と「上司に対する献身」の差異はほとんど生じることがない。しかし、業務遂行の達成度を評価する評価者が、様々な事情から、「企業に対する貢献」よりも「上司に対する献身」を高く評価してそれが処遇に反映され始めると、被評価者の関心は「企業に対する貢献」よりも「上司に対する献身」に集中されてゆく。結果「貢献」が減少し、同じリソースでも、より「貢献」を効率的に活用している競合に市場で敗北する。(オーナー企業の強みはまさにここにある。「企業に対する貢献」と「上司に対する献身」の差異が常に小さいのだ。)
業務者にとって、「上司に対する献身」は一時的には奏功しても、長期に渡って蓄積するスキルではない。自分が、「企業に対する貢献」をどこまで実施しているかに常に留意し、「貢献」こそが真の価値製造につながることを意識し続けることが大切である。
・・・と書きたいところなのだが、残念ながらそうでもないのが現実なのであって、「貢献」が全然なくてもひたすら「献身」だけで結構ポジションをつかんで上手く世渡りしてそのまま逃げ切っている人間もたくさんいる。ここでの作者のレコメンは、「貢献」と「献身」の概念の理解と、その差異を認識して冷静に状況を分析し、貴男にとって最上の策を志向する一助とすることだ。
<余談:
イノベーションについては、MKとMFは大きく二つに分類している。
一つは、ジミチーノ = 地道イノ = 地道イノベーション
もう一つは、 ヒラメキーノ = 閃きイノ = 閃きイノベーション
上記2者は、それぞれにアプローチが違うのだが、このHPではこれ以上イノベーションについては立ち入らない。これはビジョン短歌Oの世界であり、現状MSの強いプロテクトがかかっている。近未来では、アドミニストレーションは全て機械がやってくれるようになるだろう。そして次はプロジェクトの番であろう。残るのは、イノベーションである。
そして、MSはイノベーションの鍵は日本語であると考えている。>
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