0016-2 ビジョン短歌B06

ノンメルシー(許せない!) アンチメルシー ジンメルシー

ウオタギーラは 金の鶴嘴


ノンメルシーに「許せない!」とルビを振っている。(0016参照) そう、これはマントラルビだ。誰かの仕打ちが、自分にとって「許せない!」と思わずかっとなりそうな時に思わずマントラシャウトするのが、このビジョン短歌B06、である。

ここでMKから読者に質問。

ビジョン短歌B02はマントラブロックされていますか?

イベントトラップは身についていますか?

貴男は、「大失敗」を認知した瞬間に、ビジョン短歌B02をマントラシャウトできますか?

そして、ビジョン短歌B02をマントラシャウトすると同時に、「体感」として一瞬の精神の緊張を解けますか?

心をやわらかくしてイベント(=ボール)を受け止める。カーテンにボールをぶつけるようにできますか。マントラシャウトした瞬間に体感イメージとして、クロールの息継ぎ・マラソンの給水・剣道で一旦面をはずす・ふっと身体の力を抜いて、プチ幽体離脱する、口なおしのソルベを食べる、ビールをぐいっと一口飲んだ瞬間を思い出す、等、取り急ぎ、大失敗を受け止める体感はできていますか?

ビジネスで成功しようとしたら、一番してはいけないのが、何かの仕打ちをうけて、思わずかっとなって言い返したり、行動してしまうことだ。

こんなことは、誰でも知っている。どの本を読んでも書いてある。自明の理であり当然のことである。

ところが。

じゃあ出来ているのか、というと、出来ていないし難しい。

とても難しい。わかっていてもできない。

実ははっきり言ってこれが一番難しいのだ。

何か言われて、かっとなる、侮辱をうけていきり立つ、上手く行かなくてイラっとする。実ははっきり言ってこれは生物科学的には、動物哺乳類人類ヒトとしての人間にとっては一番正しい、一番最適な反応である。

ところがこれが社会科学的には一番損なのだ。MKも、今まで思い返してみて、今までの人生で、思わずかっとなって、その気持ちに身を任せたまま行動し、あるいは暴走して、それが良い結果にむすびついたことは一度もない。思わずかっとなった自分を見つめて冷静に判断し行動した時のほうが良い結果に結びつている。

もっとも、これは、今の日本という高度に社会化された環境に生きているからであって、例えば見渡す限り無人の荒野において、1対1で人間でも動物でも対峙していた場合、何か、例えば水や食料などを奪い合っている、なんて状況になっている場合は、かっとなった瞬間にアドレナリン全開で目の前の敵を徹底的に攻撃する、破壊衝動のような条件反射があったほうが生き残りには有効なのだろう。つまり生物科学的にはきわめて正常な反応なのだ。

実際気持ちは良い。後先を考えずに思い切りどなりつけたりすると、(例え全てを棒にふってしまったとしても)ああ、すっきりした、気持ちがいい溜飲がさがるっていうことは確かにある。

これはコミュニケーションについてもあてはまる。

言いたいことを思い切り言う、後先を考えないで、口に出してしまっていて気持ちがいい、暴言を言い放ってしまって気分すっきり、ああさっぱりしたすがすがしい、という経験には確かに覚えがある。これはおそらくきっと全て生物科学的には正しいのであろう。しかし、社会科学的に言ってはいけないことを感情に身を任せて言ってしまった場合、つまり生物科学的に正しい行動でも社会科学的に最悪の対応をしてしまった場合、当然の帰結として社会科学的に最悪の結果が訪れる。

今のMKはそれを知っている。だから、ここでは、「何が正しいか」の議論は全て一旦脇におき、方法論として、カっとなった瞬間に自分を暴走させない方法として、ビジョン短歌B06の接種・摂取を目的とする。

<上の句> 解説

ノンメルシー アンチメルシー ジンメルシー

まず、語彙について言えば、メルシーは存在している。フランス語で有難う、感謝の意を表明する言葉だ。英語でのThank Youである。そしてノンメルシーも存在している。英語ではNo thank youに該当するフランス語である。

しかし、アンチメルシー、ジンメルシーという語彙は存在しない。どちらもMKとMSによる創造語である。

アンチメルシー・ジンメルシーは、アンチテーゼ・ジンテーゼ、を語源として造形された。アンチテーゼとジンテーゼは、哲学の基本語彙である。テーゼ(基本命題)があり、アンチテーゼ(基本命題の反対命題)があり、そしてジンテーゼ(統合)がある。

テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼに関しては解説している書物が多数存在しているので、ここではこの基本概念に関しての解説は詳述しないが、この考え方を力技であてはめ造形したのが、アンチメルシーとジンメルシーであり、ビジョン短歌B06である。

何にあてはめた?

「感謝」の気持ちにあてはめたのだ。力技で。

さて、MKは、過去のサラリーマン人生で、ビールをぶっかけられたことがある。灰皿を投げつけられたこともあるし、土下座させられたこともある。職務中に土足で自分の上着を踏みにじられたこともあるし、三回まわってワンと言わされたこともある。

ビールをぶっかけられた時は頭からビールまみれになった。大ジョッキ半分の量のビールに髪がベトベトになった。しばらくはビールの匂いが嫌いになった。今これを書いていると、MKにビールをぶっかけた人間の一言を思い出す。「大丈夫だよ、ビールは染みにならないから」と。その時の歪んだ笑顔を、酔いに濁った目とその上のもじゃもじゃの眉、めくれた唇の赤さ、歯が黄色く汚れていたことももよく覚えている。そう、彼は正しかった。確かに服には染みはつかなかったのだ。でも、心についた染みは見えない。見えないけど今も残っている。

灰皿をなげつけられた時は、煙草の灰と吸い殻がMKの顔面を直撃してはげしくむせこんだ。MKは煙草をすわなかったから一層苦しかったのだと思う。

MKはここで事情の描写・説明はしない。MKにそんな仕打ちをした人間をここで非難するつもりもない。すべては起こるべくして起こったことに過ぎない。実は、MKは自分にも同情しない。今思い起こせば、そのような感性の相手、すなわちそのような行動に出ると予測可能であった相手をそこまで追い詰めたMKにも原因がある、というかMKにこそ原因があることを認識しているからだ。今のMKはもうそんなに誰かを追い込むこともしないし、それどころか最初からそんな立場にならないように振る舞う、あるいは立ち回る。今のMKには、その仕打ちをされた自分の気持ちだけでなく、その仕打ちをした相手の気持ちも、さらにはそんな仕打ちをしてしまった後の気持ちも、全てどれもよくわかる。

もちろん、全ては不愉快な体験であった。飲むのは好きだけど、ビールをぶっかけられ、シンデレラのように灰をかぶり、土下座させられ、3回まわってワンと言った経験が愉快なはずがない。そんなことを自分に強制した人間は許さない。全てノンメルシーであった。

しかし、全て貴重な体験だった。

何故か。

そんな体験を通して強くなったからだ。MKの製造力は、これらの体験をしたことがない人間と比較して、より強化されている。筋トレやマラソン・ジョギングと一緒だ。負荷をかけることによって、負荷をかけて乗り越えた分だけそのパーツが強化されている。上腕を筋力トレーニングしている人間は、していない人間に腕相撲では負けない。当たり前だ。筋力が強化されているから。同様にMKもひどい仕打ちに耐えたことによって強化されている。

だから、感謝している。

何に? 運命に。

そう、そんな体験をMKに課した運命、耐えたMKの運命に感謝している。

これがアンチメルシーである。メルシー =基本感謝 の逆命題、「反対感謝」である。ノンメルシーの体験を自分の強化に有効利用するのだ。

では、ジンメルシーとは?

ノンメルシー体験を経験したのちのMKは、愉快でなかった = ノンメルシーな体験こそ、乗り越えられれば今の自分よりもっと強くなれる、ということを知っている。さらに言えば、不愉快体験は、今、書く・言葉にする、表現することのエネルギーにもなっている。

かつては、「こいつ、許せない!」とかっとなって思わず身体が条件反射に動いてしまった。あるいは、売り言葉に買い言葉で、罵り合いになって言葉で随分人を傷つけた。今考えると全く不必要なプロセスで、誰も得をしていない。ただお互いの傷口が広がっただけである。また、なまじ口論で勝利した分、かえって自分を危険にさらしてしまったこともある。口論で負け、敗者になれば、かえって相手をたてて上手くいってそのほうが実際は得をしたであろうに、と後になって気付いた案件もある。暴力に暴力で返して、自分をいらない危険に晒したこともある。

・・・とまあ、つまりは若くて青くて未熟だったのだが、その結果、学んで身に付けたのがビジョン短歌B06である。

許せない! こいつ! 思わずかっとなった瞬間をそのまま、「ノンメルシー」につなげる。ぐっとこらえるきっかけを得る。

次に、そんな仕打ちを受けた自分の運命に感謝する ⇒ アンチメルシー

さらには、ひどい仕打ちを自分が耐え抜いたことによって手に入れた自分の強さを自覚する。 ⇒ ジンメルシー

どんなにひどいことを言われても。また、言われたからこそ、または攻撃をうけたこと、その、自分に対して発信されたある人間の一言を、一動作を、自分に対する攻撃・重大な侮辱だ、と認知した瞬間に、このビジョン短歌B06をマントラシャウトして解釈を介錯してしまう。かっとなった瞬間、頭にきてイラっとした瞬間にノンメルシーをマントラシャウトできる、無意識にマントラシャウトするようにマントラブロックしておく。自分にとってのあらゆる不愉快な仕打ちを、ノンメルシー ⇒ アンチメルシー ⇒ ジンメルシーに接続してしまう。

今、思い返してみれば、自分の能力が伸びたのは、成長につながったのは、そのほとんどが、苦しかったとき、恥ずかしかったとき、いやだったとき、ひどい目にあった時、悔しかったとき、なのだ。耐え抜けば本当にのびる、強くなる。

このビジョン短歌B06をマントラブロックしておくと、人生でたいへん役立つ。時には命

を救うこともありうる。

ジンテーゼ、とは、テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を統一し、矛盾を解決すること。総合・統合のことだ。ワンランク上の概念、ステップに移行・上昇することである。

「その行為を行った人間を許せない」    → ノンメルシー

「状況を体験として俯瞰し強化への手段」  → アンチメルシー

「体験を通して強くなった自分を自覚」   → ジンメルシー

<余談:

実は、「許せない!」と思わずかっとなった瞬間はこれ以外にある。そう、土下座や灰かぶりなどここに書けるレベルは実は大した話ではない。もう笑って話せるし書けるのだ。

MKは、ここには書けないもっとひどい目にあったこともある。

今でも思い出すと胸の下、鳩尾のちょうど真ん中の奥あたりに黒い炎がメラっと燃え上がるのを自覚する。まだまだ冷静には記載できないのだ。つまりMKの心中で、これは今まだアンチメルシーのステップでしかない。この思いとは、今はまだアンチメルシーを唱えながらなんとかつきあっている。ゆくゆくはジンメルシーまで昇華収納できればどこかで紹介できるかもしれないけど、ここでは書かない・書けない、今はまだ。>

MKは、ビジョン短歌B06を接種してからというもの、自分の製造力がいかに強化されたか、を意識できる。実際、今までの人生を振り返った時、自分の能力が一番伸びたのは、

(その1) 最低・最悪の上司についてヒドい目にあった時であり、

(その2) 最低・最悪の部下がきて、ヒドい目にあった時であり、

(その3) 最低最悪の店や客を担当して、ヒドい目にあった時

である。

どれもこれもノンメルシーであった。だが、今は知っている。ノンメルシーと心が思った瞬間に、これはアンチメルシーに昇華される可能性もありうるのだ、と。

<下の句> ウオタギーラは金の鶴嘴

ウオタギーラはMKの造語である。

さて、貴男はこれはどういう意味だと思いますか?

そして金の鶴嘴、とは?

その答えを記載する前に、「フィードバックと侮辱」について考察する。

読者は、「フィードバック」をどう自分の中に位置づけていますか?

フィードバックは常に貴重な意見である。自分の行為に対する評価は、どこからでも上手に受信できるように、常に自分を整えておくと、自分についての多量な情報を収集できる。そのためには、フィードバックの発信者が、貴男に発信しやすい状況・環境を常に整えておくことが必要になる。

世の中には様々な真実がある。例えば貴男が何か失敗したとする。貴男のことが好きな人はあまりそれについてコメントしない。貴男を傷つけたくないからだ。貴男を傷つけることを恐れてフィードバックをしてこないのだ。

貴男だってそうだろう。自分が好きな人、自分が普段親しくしている人、自分が仲良くしたいと考えている人間にはあえて真実を伝えるより、良好な関係を保つことを優先させる場合がたくさんある。

ところが、そんな時、貴男のことが嫌いな人はどうするか?ここぞとばかり貴男にコメントしてくる。

そう、貴男のことが嫌いな人からのフィードバックが実は最も多くの真実を含んでいる、ということもありうるのだ。

実は、貴男の失敗に関しては、貴男のことが嫌いで、機会をとらえて貴男を侮辱・中傷したがっている人間がもっとも有効なフィードバックリソースなのである。

これは、泥水の中から砂金を見つけるのに似ている。

自分に対してマイナスのフィードバックをきくのは苦しい。ノンメルシーだ。そのフィードバックの発信者が、自分に対して悪意がある人間であればならなおさら、だ。ノンメルシーの極致である。だが、その泥、その砂、その芥の中には砂金がまざっている場合がある。汚い泥の中にきらっと光る黄金が、ゴールドがある。そこを鶴嘴で掘れば思わぬ鉱脈を掘り当てる時もある。いい機会だ、と、この際覚悟をきめて、相手の意見を徹底的によく聞く。これはチャンスである。どんな意見を表明しているのか、聞くだけ聞いて決して損はない。受け止めるだけでいいのだ。受け入れる必要はないのだから。

・・・とは言うものの、なかなか冷静に受け止めるのは難しい。自分につっかかってくる人間はどうしても面白くない。つまりは生物科学的に正しくない行動で、その意見の内容を平常心で受け止めて吟味するのは難しい時もある、というかそんな時がほとんど全部。

そんな時どうするか?

これがウオダギーラ、だ。

UOTAGIRA

これは、アリガトウ ARIGATOUを逆さから読んだ言葉である。

言っている人間、発信者、お前にだけは言われたくないような相手には全然有難うじゃないけど、こんな体験としては貴重、だから、ウオタギーラ、と心の中でマントラシャウトする。相手に向かってウオタギーラをマントラシャウトする、マントラシャウトしながら聞く。侮辱の中の砂金を探す。フィードバックと侮辱を切り離して処理する。自分にとって侮辱としか思われない泥の中、貴重なフィードバック=砂金を探す。泥の中の砂金を探す。マントラシャウトしがら、ひたすら心で繰り返しながら。ウオタギーラを。

自分を侮辱している人間がいる。言い返す必要はない、黙ったまま心のなかでウオタギーラと繰り返しながら、金の鶴嘴をふるって砂金を探すのだ。時には本当の黄金の鉱脈に行きあたる可能性もある。

そう、マイナスのフィードバックは自分に対する情報を獲得する素晴らしいチャンスだ。よくよく聞いて受け止めて、その中に砂金をさがす。鉱脈を探す。今、目の間に存在する誰か、自分を侮辱しようとしている人間も、あるいはそんな人間だからこそ有効利用する心構えを持つ。

今は耐えろ。よりはるかな高見に自分を舞い上がらせるために。

もちろん、全くまとはずれでばかばかしいフィードバックもあり得るのであって、そんなフィードバックを聞くのは時間の無駄ではないか、と考える貴男もいるかもしれない。

その場合は、こんなことをこう表現したら、バカだと思われる、そうか、こんなことを言えばバカだと認識されるのか、それを身を持って自分に教えてくれているきわめて有難い、あるいはおめでたい人である、と考える。まとはずれで愚かしいフィードバックは意見として聞くだけで別に従う必要もないし、そんな愚かな意見でも黙って聞く貴男の態度は、必ずや周りの信頼と尊敬を獲得する。

唱える。心の中で相手にぶつける。ウオタギーラと。

・・・なーんて、MKがかっこいいこと言う。生徒に教室で講演し解説して送り出す訳なのであるが、実際上手く行くかというと・・・?

ビジョン短歌B06を処方すると、MKの生徒達は、

「いい話を聞きました!」

「もう今日からは、大丈夫!何を言われてもカっとしません!」

「これからは沈着冷静に対応できそうです!」

なんて意気揚揚と口ぐちにB05をマントラシャウトしつつ三三五五、教室を後にしてゆくわけなのであるが、MKのこれまでの経験から概算して、即効性があるのはせいぜい15人か20人に1人である。残りの14人または19人は、やっぱりカっとなって頭にきて言い返して10分後には後悔して、謝罪と修復に手間と時間がかかって、ということを繰り返すのである。

ただし、少しづつ工夫をするようになる。

ビジョン短歌B06を接種しておくと、誰かが自分を侮辱しても一旦心のなかでマントラシャウトすることによって、あ、今俺はカっとなっているな、という自分を自覚できるようになる。

生徒の中には、ビジョン短歌B06だけでは足りなくて、ビジョン短歌B01からB16まで全てをひたすらマントラシャウトした、という生徒もいる。

また、こんな生徒もいた。既存のビジョン短歌だけでは足りずに、自分で即行の短歌を読んでしのいだ、ということだ。

その一例を紹介すると、

ウオタギラ たぎる気持ちに アンブレラ

ウオタギラ 耐える自分に 花が咲く

とにかく心の中で何かのフレーズを繰り返して何とかしのいだ生徒もいる。しかも、どのくらい唱えたか、すなわち自分が心の中で繰り返したビジョン短歌の数で、自分の忍耐力を時間計測できる、と気づいたと報告を受けた。

また、これは、生徒達と話し合った結果気付いたのだが、普段から、様々な人を観察して、その人間をわけておくことの効用である。

好き/嫌い

話しやすい/話にくい

信頼している/信頼していない

信用している/信用していない

尊敬している/尊敬していない

自分に対して影響力がある/自分に対して影響力がない

価値観が同じである/価値観が同じでない

例えば、この人間は尊敬している、だからこの人間に言われた一言は尊重する価値がある。

この人間は信頼できる、だからこの人間に言われた一言は尊重したほうがいい。

ところが、この人間は尊敬もしていなければ尊重もしていない。そんな人間のフィードバックは意見としてきくだけで、自分の糧にする必要はない、なんて考えている人間が実は自分の人生に大きな影響力を持っていたりする。不愉快だがしかたがない。耐えるしかない。どうやって?ビジョン短歌B06を唱えるのだ。ひたすら、心のなかで。耐えれば耐えるほど、ノンメルシーがたまるほど、アンチメルシー、貴男は強くなり、ジンメルシー貴男の製造力は強化される。

<余談:

とは言うものの・・・

今、これを読んでいる貴男は年齢は何歳ですか?

たった今、MKは記述した。

「今までの人生で、思わずかっとなって、その気持ちに身を任せたまま行動し、あるいは暴走して、それが良い結果にむすびついたことは一度もない。」

「思わずかっとなった自分を見つめて冷静に判断し行動した時のほうが良い結果に結びつている。」

「今考えると全く不必要なプロセスで、誰も得をしていない。」

・・・本当にそうか?

・・・こんなこと言いきっていいのか?

実は言いきれないのだ、そんなこと。たった今気付いたけど。

特に、もし貴男が読者が今この文章を読んでいる君が、今まだ18歳以下だったら、こんな忠告に従っているようでは、大物になれないのではないか、と記述しながら、PCのキーをたたきながら、ふとMKは手をとめて考え込んでしまったのであった。

かっとなった、ああ、やっちゃった、あんなことを言っちゃった。

思わず手がでてなぐってしまった。どなりつけて壁をけっちゃった。机をたたいた、どなりつけた、ののしって誰かに暴言を吐いた。

あんなことして、本当に恥ずかしい、ああ、思い出しても情けないな、とか、それって、この年になると本当に若かったなあ、ばかだったなあって思うのだが、やはりこれって実は必要なプロセスだったのではあるまいか。

まあ、MKの場合、たまたま運が良かったからよかったけど、こんなつまらないことで大けがしたり障害が残ったりしてたら「それこそおおばかのこんこんちき」、な訳なのであるが。

でも、この文章を読んで我慢しちゃって、解釈の介錯なんかを覚えて小利口に小さくかたまった奴が、将来大きなことができるかなって思うとちょこっと忸怩たる気持ちになってしまう。

大丈夫かな、こんなことを伝えて。

大丈夫かな、こんな知恵をつけて。

摩擦があって葛藤があって、情熱があって、愚かではずかしくてみっともなかったけど、それはそれで価値があったのではないか。

それはそれで楽しい経験だったのではないか?

って考えたのであるが、

まあ、この部分をMSが読んだ時、そこまで作者が心配する必要はない、そんなに簡単にビジョン短歌B06は身につかない、何度も失敗してやっとアンチメルシーを理解できる、さらにはジンメルシーまで到達するのに相当な時間がかかる、MSの意見であった。

で、MKは書く。どう血肉に取り入れるかは読者次第である、と考えながら。>

そして、

ウオタギーラは、呪いの言葉だ。

今、MKがこの年になって、過去、MKに「ウオタギーラ」を唱えさせた人間は、少なくとも、追跡調査で確認できた限りでは、ほとんどがひどい人生を送っている。

そう、MKにウオタギーラをマントラシャウトさせた人間は、皆、その後、誰かから復讐をうけてヒドいめにあっている。

MKに対してヒドいことをしている、そんな人間は、MK以外にも同じような事をしているのだ。で、それが累積して、結局は自分の人生を過っている。

それが確認できたのはつい最近であり、しかも、全員ではないので、確率として正しいかどうかは検証不能だけど、読者はウオタギーラをマントラシャウトしてやりすごし、しかも耐えれれば、絶対ワンランク上に上がれる。

「感謝」とは、通常、その感謝の意識や感情を自分の心の中に喚起させてくれた対象、モノやコトに尊敬や愛情の念を抱く、そして、いつかこの対象にも恩返しをしたい、と思う場合に使う言葉である。

しかし、ウオタギーラは違う。その逆感謝の意識や感情を自分の心の中に喚起させてくれた対象に対して、軽蔑・反感・嫌悪の念を抱いて、いつかこの対象には意趣返しをしたいと、強く心に刻む。

ただ、「環境」や「状況」は自分にとって貴重な経験である。だから、そのイベントの原因になったモノやコト、あるいはヒトには嫌悪反感軽蔑の念をいだきながらも、貴重な経験をつむことにつながったことに関しては「感謝」するのだ。

ここで困るのは、「感謝」という言葉がそぐわないことである。つまり、「感謝」ではない「逆感謝」を表現する言葉が現状見当たらないのだ。で、暗黙知としては持っている「知」が、そのまま暗黙知のままだと、扱いに苦慮するので、言葉をつくることにしたのだ。

ウオタギーラはそんな言葉の一つである。思わず悪口雑言を口先に上らせそうになったときは、陽気に上品に明るくこの言葉を相手に投げつける。陽気で上品で明るくてオリジナルな呪いの言葉。

東京遊学四季研究会 by 三冨 圭

遊学四季法の一般公開 ビジョン短歌Bとイデアフレーズのメソッドを一般公開しています