0013 ビジョン短歌B03
同じ事 めんどくさいから スグイマコ FSC 押忍 着手 イッパレ
毎日の仕事って、つまりはめんどくさい。
で、はっきり言って、めんどくさい、って気持ちを排除する事、これさえ可能であれば、実は相当ラクになる。
そのためには、「めんどくさい!」と語りかけてくる自分の心と戦って、自分がめんどくさいなー、と思っていることに立ち向かってゆく力をつける、これさえ出来れば実はどんなことでもできる、だろうと思うのだが、やっぱりこれが容易ではない。
そこで、ビジョン短歌B03
同じ事 めんどくさいから スグイマコ FSC 押忍 着手 イッパレ
なんだこれ? と思えば、とりあえずその感覚は正しい。こんなフレーズで一体どうやって、めんどくさい、という気持ちを退治できるのか?
そもそも、何故、めんどくさい、と思うのか?
もし、自分のビジョンに一歩でも近づけるのであれば、やる気になるはずだ。
ここで、MKの思い出話に耳を傾けたい読者は → 0053へ
とにかく、先を急いで、めんどくさい、を退治したい読者は → 下へ進む
とにかく覚える。これをビジョン短歌B03、として暗記してしまう、とにかく一日100回でも200回でもマントラブシャウトして、すらすらっと口から出るようにしてしまう。
取り急ぎ、センテンスブロックしてしまう。
勝負はそれからだ。
そして、すらすらっとでるようになったら、試すチャンスを待つのだ。
待つ、何を?
つぎに、自分が「げ、めんどくさい」って感じる瞬間を。
そんなチャンスは、すぐにやってくる。普通に仕事をやってれば、
とにかく、げ、めんどくさいって思ったら、このビジョン短歌B03をマントラシャウトする。
するとめんどくささがすーっと消えて、とりあえず着手する気になる
嘘だろ、と思うけど、実はこれは本当で、でもそうなるためには、一定の時間がかかる。
平均で、だいたい6ヵ月くらいかかる。
実は、MKにしたところで、このビジョン短歌B03を使いこなすようになるには3年くらいの年月が必要だった。
いや、もっとか、というか、今も日々鍛えている過程である。
なぜかと言うと、めんどくさいことって、どんどん高度にふくれあがっていくからだ。
実はMKはもともと超がつくめんどくさがりやで、とにかく、やりたくない、どうやったら、ラクにできるか、どうやったら、業務から逃れることができるか、どうやったら、やらないですます事ができるか、常にいつもまず必ずそう考えていた。
30年前、企業に就職して、配属されたその日から、めんどくさい、ああ、めんどくさいっていっつも思っていた。
めんどくさいからしたくない、ああ、めんどくさい、何とか逃げよう逃げ切ってやろう、といつも考えていた。
めんどくさいから逃げるための、そのための創意工夫がまたそもそもめんどくさかったりする。
何度も逃げようとしてそれに失敗して、そして気付いたのだが、めんどくさい事は逃げようとすると、どんどんめんどくさくなる、ということで、しかもそのめんどくさい事から、結局逃げ切れないのだ。
なーんだ、そうか。
「めんどくさい事がきたら、最初に逃げずに向きあって、きちんとやってしまう」のが、実は一番ラク、なのだ、という人生最大の真実に気づいたのであるが、それが33才の時だった。つまり、社会にでて労働を始めてから、10年以上の時が経過していた。
ラクをしたいなら、最初にきちんとやるに限る、そう気づいたのだ。
そして、「めんどくさい」と感じている自分の感情とどう向き合うか、について検証を加えたのだ。その結果以下のステップをたどっていることに気づいた。
貴男も、次に「めんどくさい」と感じたら、そうかんじている自分をよく観察してほしい。
「たった今、自分はめんどくさい、と思っている」この感情は、いったん逃げることによって、少しだけ薄まる。
(なんでもいいけど、)目の前の書類の整理だろうが、誰かに電話をかけてアポをとる事だろうが、お店を回って注文をとる事だろうが、とにかく何でもいいけど、とにかく、何かを、めんどくさいな、と思ったとする。
① げ、めんどくさい、と思う。
② その思いを仮に100だとする。(あくまで、「作業そのもの」ではなく「感覚」が)
③ いいや、めんどくさいから後まわしにしよう、と思って、とりいそぎ頭のなかからおいはらう
④ 追い払った瞬間、その「めんどくさい」と感じている感情は一時的にすこしだけ薄まる。
⇒ 70~80くらいのめんどくささ、になる。
⑤ でも、追い払っても、その「めんどくさいという気持ち」が完全に消えるか、というと消えない。⇒ だいたい25~30くらい残っている。
⑥ 何かの時に「あ、まだやってないんだ」とめんどくさい事を思い出してしまう。
⑦ 思い出す時にはだいたい115~130くらいのめんどくささになっている。
「めんどくさい」と思う → 「めんどくささ」 100
「いいや、あとでやろう」と取り急ぎ放置する → 「めんどくささ」 70~80
「その心を取り急ぎとなりにおいて忘れる」 → 「めんどくささ」 30~40
「あ、まだやってないやと思い出す」 → 「めんどくささ」 115~130
「いいや、あとでやろう」と取り急ぎ放置する → 「めんどくささ」 70~80
「その心を取り急ぎとなりにおいて忘れる」 → 「めんどくささ」 35~45
「めんどくさいこと」を一回思い出して先送りにする、そのサイクルを上記のステップにしたがって、1サイクルと考えると、取り急ぎ1サイクルで「めんどくささ」の累計は最低で105、最高で125増加している。
⑧ で、ついに別のことを考えている訳にもいかない、むきあうしかない、と考えて覚悟を決めて向き合う。
その時の、「めんどくささ」 → 150-200くらいになっている。
つまり、めんどくささは、一回先延ばしにするたびに、最低105に増えて感じている。
3回先延ばしにすると、最低でも315
で、着手したときのめんどくささをプラスすると、最低で455だ。
だから、潜在的に頭のなかに偏在していた「めんどくささ」は、例えば3回先延ばしにした場合、累計計算では、概算で、最初感じた100の4.5倍になっているのではあるまいか。
しかも、これは、最初に感じた「めんどくささ」が、最初から、変化していない場合で、最初から3回先延ばしにしている間に、もっとめんどうなことになり、その当然の帰結として「感情で感じるめんどくささ」は、「実際のアドミニストレーションとしてのめんどくささ」が100以上に感じられている場合もあって、あるいはその場合のほうが多いかもしれない。
だったら、めんどくさい、と思った瞬間にやってしまおう、それが一番ラクなのだ、と気づいたのが33才の時だ。
遅いと言えば遅いのだが、それまで、なんとかして逃げよう、やりたくない、と逃げ回っていたのだが、たまに何かの拍子に、また思い出して、やっぱりしたくない、逃げよう、と考えて、最後の最後に逃げ切れなくなって、つまり、めんどくさいから、と逃避しようとすると、もっともっとずっとめんどくさくなってしまうのだ。
そして、それまでに、めんどくさい事から、逃げて得した、ああ、やらなくよかった、逃げ切れた、と思ったことは思い返してみてもついに一度もなくて、10年間くらい、めんどくさいことがあって、なんとかにげようとして結局にげきれないで、もっとめんどくさいことになっていた事例ばかりがつみあがり、ついにもうやめよう、とにかくめんどくさい、と感じた瞬間にこの感情をなんとかしよう、と決意したのだ。
<経験から思い知ったこと>
① 今、めんどくさいことは、放置しておくともっとめんどくさくなる。
② もちろん、「様子をみて」というケースもある。でも、「めんどくさい」のかそれとも「今は様子をみたほうが良い」のか、は実は違う概念であって、区別は可能、というより実は明快なのであって、実は「めんどくさいこと」を先延ばしにしたいがために「様子を見る」ということを言い訳にしてしまっているにすぎなくて、そして、言い訳であるかどうか、は自分が一番よく知っていて、自問自答すればすぐに明確になるのだ。
③ 「今めんどくさいこと」を後まわしにして「めんどくさくなくなっている」ということはない。絶対にない。実際一度もなかった。10年間試した上での結論だ。先のばしにするほど、めんどくさくなる。
④ 今感じている「めんどくさい」、という気持ちは、たった今デリートしてしまわないとずっと感じて、つまり、「めんどくさい」と感じる気持ちそのものは実は長時間である。
⑤ 「めんどくさい事」に応対する作業としての時間コストは一緒。だったら、「すぐに」「いま」やってしまうほうが、「めんどくさい」と感じる気持ちはトータルでは4.5分の1にまで少なくなる。(3回さきのばしにした場合)
⑥ そもそも、「めんどくさい」と感じているのは自分であって、自分の感情・自分の気持ち、自分の解釈にすぎない。その気持ちに打ち勝つ方法はないだろうか?
もしあれば、ちょっとした武器になる。
何か方法はあるだろうか。
そこで、ビジョン短歌B03を設定・接種して、マントラブロックすることにしたのだ。
ビジョン短歌B03解説
「同じ事」
まず、「同じ事」と認識する。今やっても、あと回しにしても、解決するためのコストは一緒、である。対処にかかる時間は今でもあとでも同じで、対処をスタートする時刻と対処を完成させる時刻は違っても、そこに費やす間隔としての時間、つまりスタートと完成の間の時間は一緒、手間も一緒、同じ事、なのだ。
そして、「めんどくさい」と思う気持ちは「今」やってしまわなければ累計で2倍から4.5倍にまで拡大する可能性がある。そこで、まず「同じ事」である、とビジョンセルフからリアルセルフに語りかける。
「めんどくさいから」
ここで、大切なのは、「めんどくさいけど」ではなく、「めんどくさいから」とマントラシャウトすることだ。この違いの認識がビジョン短歌B03のポイントである。
今、リアルセルフは「めんどくさい」と感じている、だけどそれでも頑張ろう…ではないのだ。
今、リアルセルフは「めんどくさい」と感じている、だからこそ、今この感情に引導を渡してしまえ、とビジョンセルフが提案する。この決心をこの「から」にかける。
「スグイマコ」
これは、「すぐやれ 今やれ ここでやれ」のことだ。やろうかな、着手しようかな、でも先延ばしにしたいな、と迷っているリアルセルフに声掛けをする。
「FSC」
これは Flash Slash Cockroach である。
ここには、多少のトレーニング・訓練を必要とする。
何をするか、というと、リアルセルフの心の中に湧き出た、「めんどくさい」を、コックローチ、すなわちゴキブリに見立てるのだ。
「げ、めんどくさい」という気持ちを、「カサカサっと走る薄汚い黒いゴキブリ」とイメージする。で、それがちらっとでも見えたとたんにぶった切る、踏みつぶす、それをこの3語で表現し、イメージし、心の中に刻み込む。
実は、MKは、現実世界でも、「ゴキブリは見た瞬間に叩き潰す」というマインドセットに自分をトレーニングしている。と言っても、最近はあまりゴキブリを見る機会がないのであるが、かさかさっと壁沿いに走る黒い影は、認知して瞬間に叩きつぶすことにしている。
「押忍」
これは、FSCをしたとたんに、心の中で「押忍」をきる様子を表現している。MKは、「めんどくさい」と思った時、すなわちリアルセルフが「めんどくさい」を知覚した瞬間、その気持ち、黒くてカサカサと動くゴキブリを叩き潰す。FSCに成功した場合に、誰かが見ていなければ、あるいは誰かに見られていても状況が許せば、実際に「押忍」を切る。FSCに成功して、めんどくさい、という気持ち(←ゴキブリ)をぶった切って「押忍」を切る。
「着手」
これは、「めんどくさい事」に、とりいそぎ、手をつけてみる。何をする、とか熟慮するより前に、とにかく実際にまずやって見るのだ。
「イッパレ」
イッパレ、は、造語、である。
「一分」 「あっぱれ」 「あれ?」の3語をくっつけている。
なんでもいいから着手して、一分だけやってみる。
この際、「一分でいいから」、「一分だけやってみなよ」とビジョンセルフからリアルセルフに言い聞かせ、着手して、一分間だけ続けるのだ。
ここで、リアルセルフとビジョンセルフは会話をかわすことになる。
リアルセルフ 「本当に一分だけでいいの?」
ビジョンセルフ「いいよ、とにかく着手してみて、一分だけやってみて」
リアルセルフ 「もし実際に着手してみて、それでもめんどくさかったら?」
ビジョンセルフ「その場合はやめてもいいよ」
リアルセルフ 「本当に?」
ビジョンセルフ「本当に本当、約束するよ」
で、リアルセルフが、着手して、「一分だけ」やってみる、やめてもいいから着手する。
で一分続ける。一分続けられたら、もうそれでいい。ビジョンセルフは、「あっぱれ!」とリアルセルフを称賛してあげる。
そして、「あれ?」である。
不思議なことに、さっきまであれほどめんどくさいって思っていたこと、じりじり一日のばし、先送り、あとでやろうとのばしのばしにしていたことが、いざ、着手してほんの1分だけでも続けてみると、不思議なことに「めんどくさい」って思う気持ちはすーっと蒸発し消去され除去されていて、「あれ?」と思う。
あの「めんどくさい」って気持ちは一体どこに行ったのか、いざ着手しえしまえばその気持ちはもう思い出せない、のだ。
これが、ビジョン短歌B03、である。
何でもそうだけど、めんどくさい事に着手して行う実施するのは本当にめんどくさい。でも、実際に着手に成功して初めてしまえば、それほどの苦痛ではない。そして、実際、何回かそれに成功してしまうと、すぐラクになって、なんでさっきまであんなにめんどくさかったのか、もう思い出せないのだ。
しかも、1回目と比べると2回目はそれほどでもなく、じつは3回もやればあっと言う間に終わる、のだ。
なんでもいいから立ち向かってやってしまえば、実は、そこまでは、めんどくさくならないのだ、ということにリアルセルフが気づく、体感する。
どうせやらなくてはいけない。かかる時間、費やす時間コストは一緒である。「同じ事」だ。
取り急ぎいますぐここで着手してしまえば、らくになる。
「めんどくさいから」やろう、やってしまおう。
「すぐ」やれ「今」やれ「こ」こでやれ
めんどくさいと感じる心はコックローチだ、ごきぶりだ。そんな気持ちは「FSC」
ぶった切って「押忍」を切る、
で、「着手」してしまうとあら不思議、ちょっとだけやって、めんどくさい、と思うことはまずなくて、やってみれば、始めてしまえば、意外と楽しく面白い、ということもあったりする。だから、とにかくなにはともあれ着手、する。文字通り、手を着ける、タッチする、かならず物理的に何かに手をふれさせてみる。
「い」っぷん間だけ、できた自分をあ「っぱれ」
すると、「あれ?」不思議なことに、やってしまえば、さっきまでめんどくさい、って思ってた気持ちをもう思い出せないのだ。
そして、繰り返すけど、ここが大切①なのだが、めんどくさい「から」だ。めんどくさい「けど」ではない。今、めんどくさい、と思っている、自分の価値観はそれである。で、いまこれを回避したとしても、またあとで、これを思い出して、まためんどくさいな、と思うのだ。だとしたら、「めんどくさいな」と思うのは、この評価を下すのは一回でいいではないか、だから、「同じ事」として、とにかく着手してしまう。そして、ここが大切②、なのだが、着手してみてやっぱりめんどくさかったら、やめていいのだ。そう、めんどくさい、やと思ったけど、着手してみたらやっぱりめんどくさいやって思ったら、もうその場でやめても構わない。
そのかわり、時間を区切る。1分でいい。とにかく一分だけやってみよう、と考えるのだ。
そして、
① マントラブロックすることを決心し、
② センテンスブロックにまでは成功していて、
という状況で、何か、めんどくさいことにであったとして、
③ ビジョン短歌B03をマントラシャウトした、とする。
すぐ着手出来ればそれでよし。
でもできなかったら?
出来なかったら?
それはそれでしょうがない。それでも失うものは何もない。もとの状態のままだ。めんどくさい、と思う。放置する、その結果、もっとめんどくさくなって、その拡大しためんどくさい事をいやいや行う。あるいは逃げて、そのペナルティを負う。
で、後悔する。ちっ、めんどくせーな、さっさとやっておけばとかったではないか、と。思う。
で、次にめんどくさいことがおこる。
ビジョン短歌B03をマントラシャウトする。
で、思う。
同じ事だからやってしまったほうがいい
めんどくさいからこそ、やってしまったほうがいい
すぐやれ 今やれ ここでやれ
めんどくさい、と思うのは、この一回で終わらせてしまおう。
その心は、黒くぬらぬらひかって、細かく触手を上下左右に振っているゴキブリだ。
ゴキブリは見た瞬間にたたきつぶしてしまえ。
押す。押して忍ぶ。我慢は自分から行う。
着手、じっさいにやってしまおう、着手してしまおう。
一分だけやってみよう。
できない。
だって、めんどくさいから。
また後でやろう…
できない、やっぱりできない。やっぱりめんどくさい。
ああ、いやだ、いいや、また後でやろう。
着手できずに、さきのばし。
なんだよ、これ。
あれ、だめじゃん、ビジョン短歌B03、と思う。
こんなのマジックワードでもなんでもない、役にたたないな、ああ、信じて損をした、と思う。
それを繰り返す。
それでいいのだ。
そう、それでいいのだ。実はMKもそのプロセスをたどったし、生徒にもそう伝えている。
ただ、大切なのは、ここで諦めないこと。とにかくめんどくさいことに遭遇するたびに、センテンスブロックしたビジョン短歌B03を繰り返す。
めんどくさい → ビジョン短歌B03をマントラシャウト → やっぱりめんどくさい → 先延ばし → 後で後悔 → 追い詰められて着手
それをなんどか繰り返す。
ただ、ここで諦めないで、何度でも、めんどくさい、と思うたび、めんどくさい、とリアルセルフが知覚する度に、とにかく必ずビジョン短歌B03をマントラシャウトする。
そうすると。
そう、そうしてくりかえしていると。
そう繰り返しているうちに、奇跡がおきる。
そう、ある日いきなり、奇跡がおきる。
必ずおこる。いつかおこる、奇跡がおきる。
めんどくさいことがある。
ビジョン短歌B03を唱える。
そのビジョン短歌にのって、実際1分だけだぞ、と着手してみる。
あれ、始めてしまうと、意外とめんどくさくない、
あれ、もう一分たってしまったぞ。
もうめんどくさくないじゃん。
その結果、あれ、ラクだ。効率も良かった。
・・・と、上手くいくことが、絶対ある。
たんなる偶然、かもしれない。
たまたま、そんなことがあった、という事だけかもしれない。
ただ、上手く行ってしまうと気持ちがいい。しかもラクだ。やっぱりすぐやってしまってよかったな、その感覚を一度でいいから味わうのだ。
たまたまでいい。
最初は偶然、奇跡、たまたま、でいいのだ。
でも、その経験をビジョン短歌B03のアーカイブに一ついれておく。
すると、その経験が同じカテゴリーの中で積み重なってゆく、のだ。
そうすると、あれ、メンドクセーって思った気持ちがそのままゴキブリにみえてくる。で、その気持ちを真っ二つに一刀両断、フラッシュしたとたんにスラッシュするリアルセルフの感覚が身につく。
それまで、「めんどくさい」って思う気持ちに毎回まけていた貴男がいる。
でも、10回に一回、50回に1回でいい、その気持ちをスグイマコ、の法則、FSCのイメージで叩き潰す事に成功したとする。
あれ、出来た。
気付いた時、貴男は別な人間になっている。自分の中の「めんどくせー」って思う気持ちを飼いならして、一歩すすめる人間になる、のだ。
1回でいい。その1回を待って、とにかくビジョン短歌B03をとなえることだけはやめない。
1と2の差は1だけだけど、0と1の差は無限大だ。
一度でいいから、めんどくさい気持ちを克服すれば、ビジョン短歌B03に身体がなじむ。
「同じこと」だから、やってしまおう
「めんどくさいから」、この気持ちから自分を解放しよう
「すぐやれ今やれここでやれ」
「フラッシュ スラッシュ コックローチ 」
「めんどくさい」の気持ち = ゴキブリ気分は、すぐ、ちらっと視界に入って瞬間に叩きつぶしてしまえ
「押忍」、腹に力を入れて押忍、十字を切り
「着手」とにかく手を動かしてはじめてしまう
「いっぱれ」 一分だけ、お、できたねリアルセルフ、「あっぱれ」だ、「あれ」始めたら気持ちがかわってる。
この一連の流れを自分の中にマントラブロックしてしまう。
そして、ある日気づく。なんだ、大したことじゃないじゃないか、何であんな事をめんどくさがっていたのだろう。すぐやれ今やれここでやれば、始めてしまえばできるではないか。
その一方で、あれ、いますぐここで始めればどうってことない、めんどくささはすぐ消える、とわかっているのにどうしてできない、ああめんどくさい、着手できない。
そんな気持ちをやりとりしながら、だんだん慣れてくる。
で、なれてしまえば、スグイマコ、この5文字を思い浮かべるだけで、戦うことができる。
できなかったら、B16をマントラシャウトして、一拍おく。
着手、じっさいに「手」をつけるのだ。
だいたい、6ヵ月だ。最初はたまたま、奇跡がおきて、偶然めんどくさい気持ちをゴキブリのように退治することができれば、しめたもの。
ビジョン短歌B03が身体になじむ。あらたな回路をつくるのだ。
まあ、上手くいかないかもしれない。MKは3年かかった。
でも、それでも、随分とかわった。すくなくとも害はない。失うものは何もないよ。
で、奇跡がおこるのを待つ。
で、一度でも奇跡がおきると、その奇跡を少しづつ繰り返す。
まあ、やってみて。仕事なんか、めんどくさいことのかたまりだ。
「どいつもこいつの俺のところへ面倒ごとを持ち込んでくる。脅迫・誘拐・ゆすりにたかり、どれもこれもドブにすてたくなるような面倒ごとだ。
こんな有難いことはない、何故なら面倒ごとは俺のメシの種だからだ。」フィリップ・マーローだか、犬神章(アダルト)だかのセリフだが、めんどうなこと、だから誰かにやらせてその対価を払う、それが仕事、なのだ。
奇跡か霊感か偶然か、それとも運命かめぐりあわせか、名称はなんでもよいけれど、とにかく自分に起こったイベントをとらえて自分が都合のよいように解釈する、解釈を介錯する。その瞬間をとらえるために、ふだんからビジョン短歌をマントラブロックしてそなえる。
備えよ常に。心に準備を口先にマントラを。
とは言うものの、こんなことを繰り返しているうちに、「めんどくさい」と思う気持ちの出どころが、
① 何度も同じ作業を繰り返すから、なのか
② こんなことをする価値がない、と感じているからなのか、
③ その他、例えば、自分にそれを強いている人間が気にいらない など違う理由なのか
なぜ、自分は今、目の前のこの作業をめんどくさいと感じているのか、をだんだん深く考察するようになっていく。
これは、リアルセルフとビジョンセルフの会話によって明らかになる。
別の場所でも書いたけど、「会話」の効用は、他者とのコミュニケーションに留まらない。「会話」によって、「今自分がどんな状態なのか」「今自分は何を考えているか」を自分で知覚することができる。
とは言え、単に「めんどくさい」と思っていた自分の感覚に、さらに思考が深くなったときの対処方は、ビジョン短歌Oの領域。取り急ぎビジョン短歌B03で、めんどくさいと感じる自分のコントロールに挑戦してみよう。
0コメント